戦時中のお正月
今回は日本語世代の張文芳さんに戦時中のお正月ついて教えていただきました!
その様子がYouTubeで公開されています。
よろしければこちらのYouTubeと合わせてご覧ください↓↓
当時のお正月とは
日本統治時代、台湾では2回お正月がありました。私たちに馴染みのある新正月と旧暦1月1日から始まる旧正月です。
子供の頃、張さんのお正月の楽しみはお年玉が貰えることだったそうです。
「勉強」
ここでお年玉とは少し話がずれますが張さんから「勉強」という言葉について豆知識を教えていただきました。
私たちは「勉強」という言葉を”学校で学習する、家で学習する”と思いがちですが、「勉強」という事は学習と本来は別のものだそうです。
「子供は遊び盛り食べ盛りで、そんな堅苦しい生活なんかするよりも、勉強なんかするよりも家で遊んでいる方が楽しい。勉強が日本では学習という言葉に変わっている。」と教えていただきました。
また、張さんは大阪に住んでいたので、大阪弁での「勉強」も教えていただきました。
大阪弁で「勉強」は安くしなさいということだそうです。面白いですよね。
お正月=連休
張さんが「勉強」のお話で教えてくださったように子供たちは子供は遊び盛り食べ盛りなので、お正月は連休になるのでとても楽しかったそうです。
新正月では、日本人の子供たちはごちそうを食べ、お餅を焼き、お正月を満喫します。しかし、台湾の子供たちは勉強をしないということがなによりも楽しかったそうです。
お年玉
台湾の子供たちは旧正月にお年玉をもらったそうです。
当時の子供たちのお年玉はどのくらいもらったのでしょうか。
なんと1円だそうです。
もちろん今の1円ではなく、当時の1円です。当時の1円はとても高価でした。
当時の最低金額は”銭”。1円=100銭になります。 今は為替レートなどでしか”銭”という単位は見ないので、あまりぱっとしないと思いますが、当時1銭でもいろんなものが買えたそうです。例えば、ぜんざい一杯と油條半分、アイスキャンディー一杯、アーモンドティー一杯など。1円あればなんでも買えたんですね!
また、当時の学校の先生の月給は30円くらいだったそうなので、1円がどんなに大金だったかがわかると思います。
しかし旧正月には台湾の家庭でもごちそうが並び、すぐに使い切ることがなかったそうです。
お話を聞いて
お年玉事情は皆さん気になる内容であったのではないでしょうか。
当時1円がこんなにも大金だったとは驚きました。1銭でおやつが買えたのは面白かったです。
次回は「80年前の桃園神社」について教えてもらったので、それを書きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。