台湾備忘録

日本統治時代に関係のある場所や聞いたこと,大学関連のことをシェアしています。

シャロンさんの日本統治時代の思い出①

 

 日本統治時代の思い出を聞く

シャロンさんという愛称で周りから親しまれている陳淑英さんに日本統治時代の思い出を教えていただきました☻

その様子がYouTubeで公開されています。今回のブログは主にこのYouTubeで話している内容を私なりに解説しながらまとめたいと思います。

よろしければこのYouTubeと並行してご覧ください↓↓


www.youtube.com

 

私がシャロンさんに初めてお会いしたのが2020年11月末。初めてお会いした時、「日本人のお友達ができて嬉しい」と言ってくださり、会うたびにたくさんの思い出を教えてくださいます。私が大学に合格した時も「思う存分学べていいわね~」って喜んでくださったり、たまに電話をくださったり。90歳以上とは思えないほどとっても元気で一緒にお話ししていると私が元気をもらえるほどです。しかも三時間話した時、飲み物を二口くらいしか飲まないほど、とってもお話がお好きな方なんです。年上の方に対して言うのは少し失礼かもしれませんが、本当にかわいいんです。会ってほしいくらいです(笑)

 

では、初めにシャロンさんについて簡単にご紹介させていただきます。

 

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シャロンさん

  • 1929年(昭和4年)生まれ 92歳 台北生まれ

  • 台北市建成小学校卒業後、台北第三高等女学校へ進学

  • 台湾の大学を卒業後、台湾大学図書館職員などで働き、その後日本へ

  • 縁談を機に渡米し、米国で世界銀行や在米日本国大使館で勤務

  • 現在台北市建成小学校の同窓会組織「建成会」の事務方を担っている

 

 

日本統治時代の思い出

 

端午の節句

台湾では端午の節句を端午節といい、ちまきを食べる文化があります。

今では端午節の時期になると、たくさんのお店がちまきを売っていて、家で作ることは少ないのですが、日本統治時代は家で作るのが主流でした。各家庭ごとに入れる具材や味付けが違い、シャロンさんは毎年、今年はどんなちまきなのか楽しみにしていたそうです。

お年寄りの方が好きなのは冷たい黄色のちまきで砂糖をつけて食べていたそうです。

シャロンさんもちまきを作るお手伝いをしたかったそうですが、神様にもお供えするものだからと言われて、手伝えなかったと少し残念そうな表情でした。

ちまきにも家庭の味があったんですね。

 

学校生活

小学校高学年になると家庭科の授業もあり、調理具などの種類を教わったり、お味噌汁の作り方を習ったりしました。その時、お味噌汁にはどんな具材を入れるのかちゃんとノートをとっていました。

お裁縫も小学校から習っていて、千人針も縫ったそうです。

ちなみに千人針というのは、赤い糸で千個の玉結びを作った布のことで、戦場へいく兵隊さんたちのために武運長久(戦場での幸運)を祈り、多くの女性が作ったお守りです。

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千人針はこんな感じです。

 

シャロンさんも先生にさらしをもらって墨で点を描いて、デパートなどへ行き、その布に縫ってもらうようにお願いしたそうです。みんなで誰が早く縫い終わるか競争もしていました。シャロンさんの家のお向かいに住んでいるお医者さんが戦地に行くと聞いて、千人針を縫ったこともあったそうです。

シャロンさんが通っていた建成小学校は内地(日本)の子供たちが多かったため、よく千人針を縫っていたそうです。反対に当時戦地に行く軍人は内地人が多かったため、本島人(台湾人)が通う公学校では千人針をあまり縫わなかったと聞いていたようです。ほかにも体育の授業などで服を着替える時に服のたたみ方も教えてもらったそうです。

 

優しい先生が多く、台湾人日本人という差別はなく、この学校の生徒として平等に接してくれたと教えてくださいました。

 

服装

学校では制服があり、衣替えは四月(夏服)、九月(冬服)でした。

冬服は薄い長そでで上着を羽織っていたそうです。

男の子は冬になったらズボンが長ズボンになるそうで、今とは全然違いますよね。

 

台北第三高等女学校

シャロンさんの出身校である台北第三高等女学校は、今の台湾の総統である蔡英文総統も卒業した中山女子高級中学の前身です。ちなみに、李登輝元総統の夫人・曽文惠さんも台北第三高等女学校の卒業生です。

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現在の中山女子高級中学。今でも日本統治時代の建物も使われています。


当時、台北にはいくつかの女学校がありましたが、台北第一高等女学校と台北第二高等女学校の学生はほとんど内地人の学生で占められており、台北第三高等女学校は本島人のエリートが入れた名門の女学校です。

そんな名門女学校である台北第三高等女学校の学生は周りから”さんちゃぼ”と呼ばれていたそうです。台北第三高等女学校の「三(さん)」、台湾語で「女の子」の意味を表す「ちゃぼ」が由来と教えてくださいました。

 

戦時中

戦争が始まった時、「最初は戦争とは何かわからなかった」、「聞いたのは戦勝した日清戦争と日露戦争だけ」、「第二次世界大戦も今まで勝ってきたから負けることない」と思っていたそうです。降伏を知った時、日本が負けるわけがないと信じていたシャロンさんは、今思えば自分に言い聞かせていただけだという当時の心境も振り返っていただきました。

 

続きはまた後日アップします(6月30日に更新しました)

今回YouTubeの前半部分を書きました。後半部分も後日アップさせていただきます!

後半部分もアップしました!こちらに記事も是非読んでいただけると嬉しいです!

 

mimi-intw.hatenablog.com

 私自身、まだまだ勉強し始めたばかりなので不自由な部分があるかもしれません。ご意見やご感想がありましたら、コメント欄にコメントをお寄せいただけたら嬉しいです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。